転校生(2010.03)
残雪の越後富士そびえる麓の小さな町に家族みんなで移り住んだのは、
私が11才になる年の春でした。
その年の冬は19年振りの大雪で家々の周りにはまだ2メートル近い雪の壁が残っていました。その壁の間を大きな引っ越しトラックは縫うように通りぬけ、私は“まるで白い迷路の町みたいだ”と思ったのを思い出します。初登校の朝は気温が上がり生まれてはじめて霧というものを見ました。雪壁の白と合わさって一寸先さえ真っ白で何も見えず雲の中を歩いているかのような不思議な感覚を覚えました。
どんな暮らしがはじまるだろう・・友達はできるだろうか・・。期待感よりも大きな不安が募ります。「いくちゃんならすぐお友達できるよ!」とクラスのお別れ会で担任の先生はそう言ってくれたけど、なかなか器用にはいかなかったと思います。元来、明るくおてんばで天真爛漫な性格のように思っていましたが知らない土地へ来てみたら以外に小心で、勇気を振り絞って積極的になるものの空回りし、完全に孤立したり突っぱねたり再び孤立を恐れ好かれたくて顔色を伺い周りに合わせた調子のいい自分が出てきたかと思えばこんな田舎つまらないとどこか斜に構え他を馬鹿にして観ていたり・・。思春期特有の色々に翻弄されどこにも自分というものの無い私でした。あの頃に私の中で育った軸の無い根っこの無い感じをなんと云ったらいいだろう・・。虚無感のような黒いモヤモヤとした孤独感のようなものとはあれから長いつき合いをしてきたと思います。
落葉し、雪が降り、それでも私はスキーとの出逢いによってこの町との距離がぐっと近くなります。教えてくれたのは近所の同級生たちでした。滑っては転び滑っては転びゴンドラ1本に3時間、霧がかかり陽も暮れゲレンデには私たちしか居なくなってしまいました。とにかく夜が来る前にどうにか下りなければいけません。ようやく麓のペンション街の灯りが見えてきたころ私はやっとコツをつかみ曲がったり止まったり出来るようになっていました。なんだか雪と友達になれたみたいで、ほんとうにうれしかった・・。それから夢中になって毎日のようにゲレンデへ行きました。吹雪の時もひとりの時も、受験のときも行きました。ゲレンデには色んな思いが転がっています。 ですが、仲の良い子ができても楽しくても私の真ん中にはいつもあの黒いモヤモヤとしたものがあって、それは得体の知れない恐怖や寂しさとなっていきました。
高校を卒業してなんのためらいもなく意気揚々上京するわけですが、私は新しい街でも同じことを繰り返してしまったと思います。どこに居ても“よそ者”の意識があり、心を開かず温かい好意も素直に汲めずにひとりのときも大勢のときも結局は自ら孤独に過ごしてしまうところがあったのだと思います。東京で力尽き絶望し病気も患い、変わり果てた自分を受け入れることができずにこんな姿ではもう人前に出られないと失望していました。まるでくたくたのボロ雑巾みたいで(言い過ぎかな^^;)行き場なく、コンプレックスを抱いたままのこの町にしかたなく戻りますが“負けては戻れない”という思いが強くありました。“ずっとここに居るつもりはない”と拒みながら長い長い月日をほとんど人に会わず私はあの黒いモヤモヤの中にすっぽりと入ってただ息だけをしていました。
どうやって元気になったの?と聞かれたとき、真っ先に心に浮かんだのは、なぜか11才の春この町へ越して来たときに初めて見た残雪の越後富士の姿です。それから、頬をなでる風や新緑の匂いや夕空、母が作ってくれたごはんや無言で抱きしめてくれた父、なににも触れないでただ笑ってくれた近所のおばちゃん、言いにくいことを言ってくれた友人、信じて見守ってくれた人たち・・。たくさん、たくさん温かさと共に浮かんできます。越後富士はどこにいてもいつもなぜかこの胸にあり、見守られているような感覚が私の奥深くでつよく支えになっていることを知りました。そして星空・・。黒いモヤモヤの暗闇から見上げる星空はまるで奇跡のようでした。天の川や流れ星の見える星空を見上げていると、こんなに無数にある星々の中で地球という星に生まれ、自分という存在があり、この星に唯一のあなたに会えたことがたまらなくうれしくなって走り出したくなります。
この世界に自分の物など何ひとつない。失う恐怖から孤独を選んできたのだろう。でも思えば風や木、歌、夕空や星たちが誰のものでもないように、人もまた得るものでも失うものでもなかった。ただ感じればいい。ただ愛したらいい・・。
人がみなひとりであることに変わりはないだろう。でも“ひとりである”ということと“孤独である”ということは同じじゃないと友達が教えてくれました。そして振り返り“友達って人間だけじゃなかった”ということを私は思い出します。 風や木、夕空、雪やスキーも、歌や星たちも、みんな友達でした。そして、敵だと思っていたあの黒いモヤモヤも、傷ついた私をそっと守ってくれた友達でした。
—追伸—
雲も 風も 葉っぱも ミミズも 星も 花も 人も 森も 鳥も 闇も 夕焼けも、そこに差異はなく、壁もなく、すべてが同等に存在し手をつないでいる、そんな風景を思い「和」(やわらぎ)という歌ができました。「和」の中に登場する色々はきっとみんな“ともだち”です。
そしてもう1曲「恋」は、満開の夜桜をみていたら、猛烈に恋をしているひとりの女性にみえてきて私は感動して気づいたらはらはら泣いていました。そんな瞬間にできた歌です。
このように歌をお届けできることが、ほんとうに、ほんとうにうれしいです。
みなさんありがとうございます。
どうぞ、聴いてやってください。
2010、3月 「和」に添える
いくのふ☆
photo:KAB.
ikunov
わたしなりの音楽観(2009.07)

ライブの動画を観てひとり反省会をひらいております。
撮影してくれたのは、ときに親友のようであり心強いスタッフにもなり姉にも妹にもなる従姉妹。リハーサルの模様から本番、最後に皆とリビングでお茶を飲みながら好物のまんじゅう片手にパジャマ姿で「祈り」を歌うご満悦な誰かさんのおまけ映像付きです。いつの間に撮っていたんでしょう・・
6月にご一緒させてもらった「WAYNO」とは今回2度目の共演です。
昨年の春、「南米のフォルクローレの方たちをお呼びしてライブを企画してるんだけど、ぜったい郁ちゃんの声と合うと思うんだ!」と友人が発想し声をかけてくれ実現しました。友人は音楽関係の仕事をしているわけでもしていたわけでもなく、当日のスタッフも周りの仲間たちが集まり助けてくれました。私と一緒に来ていた仲間も自然と受付けの仕事をしお客さんの案内もこなし、そうゆう雰囲気が新鮮でとっても楽しくてその楽しさが大きな活力になりました。おいしいお菓子に自然とたくさんの女性が集まってくるように(←例えが間違ってる?^^;) 楽しいことをしていると人は自然と集まって更に更に楽しくなって力と力が繋がって、あらら?!気がつけばいつの間にやら遠くへきたもんだ!現象になります☆
大変遅くなりましたが、ライブのラインナップを紹介したいと思います。
1 砂山 (詩・北原白秋 曲・中山晋平)
2 生きる(高木いくの)
3 越後上越節(高木いくの)
4 冒険 (Jungle Smile)
5 恋 (高木いくの)
1曲目の「砂山」はリクエストです。
‘‘海は荒海、向こうは佐渡よ‘‘新潟出身のわたしはこの歌いだしだけで日本海の風を感じて鼻の奥がツンとなります。このワンフレーズで一瞬にして聞き手を日本海の浜辺に立たせてしまう北原白秋さんの素晴らしさ!そして2曲目は私が再び、歌う!と空に叫んだ時に生まれた「生きる」を挟んで、3曲目は入浴中ドライブ中、気づいたら口づさんでる自分で作った新潟は上越の民謡です。「なぜか民謡です。民謡歌ったことありません・・でも歌います 内緒だよ〜!」とちょっと言い訳などして歌ってしまいましたが、嘘ついてしまいました! 私は幼い頃、三味線と民謡を習ってました・・^^:真っ黒い長いおかっぱに着物を着て歌っていたな・・。最初に習ったのは富山の民謡「こきりこ節」。〜♪こきりこのおたけはしちすんごぶじゃ〜(中略)まどのさんさもデデデコデン、風のさんさもデデデコデン♪〜なんのことやらさっぱり歌の意味などわからなったけど節も言葉の響きもかわいくて、習った中で一番好きな民謡でした。そういえばWAYNOの唯一の日本人メンバー、バンマスの谷中さんは富山の方でWAYNOは「こきりこ節」をカバーしています。ルイスが奏でるペルーの民族楽器「サンポーニャ」は長さの違う細竹を音階順にならべてひとつにした笛ですが太古からの遊び心や優しさを運ぶ風のような音色です。目を閉じて聴いていると私はいつの間にか鳥になってアンデスの上空にいて頂きに残雪する山脈を風に乗って旋回しています。レイデルが奏でる「チャランゴ」はバイオリンくらいの大きさの10弦ギターと云えばいいのかな、キラキラした音色で躍動感を作ります。とても素敵なんです。サンポーニャが風ならチャランゴは光でしょうか。このふたつの楽器に乗って「冒険」を奏でたら、いい風吹いちゃうよな〜!キラキラしちゃうよな〜!とワクワクしながら選曲しました。編成はコントラバス、パーカッション、ギター、サンポーニャ、チャランゴ。最後の曲は今年の春に夜桜を愛でに行ったときに作った「恋」という歌です。WAYNOの手にかかると自分の歌の彩りが変わります。暗かった部分に花が咲いたり明るかった部分に雲がかかったり、歌に翼が生えて遠くまで飛んでゆく、というより遥か遠くから飛んできて高く空を翔け上がっていきます。民族楽器の妙かな・・。この世に生まれて30数年の記憶と経験で物事を判断してしまうところがありますが、生まれたときから知っていることの方がほとんどでしょう。自分を、この星を、ただ愛して、この声は歌に羽根を生やすことに使っていきたいです。
散歩してたら毛が生えた!(2009.04)

最近気がついたこと
1 だれかに愛されてはじめて自分を好きになるのではない、ということ。
だれかに必要とされてはじめて自分を知るのではない、ということ。
2 恋人がいるということも、いないということも、
親友がいないということも、いるということも
おんなじだった、ということ。
受けとめる、ということと 手放す、ということも
おんなじだった、ということ。
3 自分をいちばんに大切にするということが、
すべてに対して愛を届けることになる、ということ。
4 人生とは、とっても楽しいもの、愉しむもの、だった〜!ということ。
あぁ・・。もったいない!どうしてもっと早く気づけなかったんだろう・・!

5 でも、生きているうちに気づけたということは、
以外と早く気づけた方だ、ということ^^
09 春 いくのふ
追伸☆
春ですね!
散歩の途中、近道じゃない道を歩いてみたらとっても素敵なカフェを見つけました。川沿いにひっそり、水色のトビラの小さなカフェです。ずっと以前からそこにあったそうですが気がつきませんでした。そこでお茶を飲んでいたら手紙を書きたくなりノートをひろげこの連載を書きはじめました。カフェにはこれからちょくちょく通うことになりそうです^^
カフェのトビラが水色なのは旅の空をイメージしてとのことでした。
旅のだいご味は「今日の空を楽しむ」ところにあるでしょうか^^
あ・・!
タイトルの「毛が生えた!」は「気がついた!」の言いまちがえですが・・、^−^; 気がつきましたか・・??^^:
今回も読んでくれてありがとうございます^^☆
素敵な春を・・・!

Good Bye Day(2009.02)
子供の頃お父さんの愛車“目玉焼き”の中でよく耳にしていたのは小田和正さんや来生たかおさんの歌声です。素晴らしいこのおふた方の歌声を聴くと私はたちまち横須賀の異国臭さや逗子葉山の海岸線の景色と共に“あの頃”の空気に包まれます。
小さい私は父とふたりよくデートをしました。
土曜日、当時学校はお休みではなく3時間の授業を終え意気揚々、早く遊びたくてマフラーもスカートも翻し競うようにかよちゃんと校門を駆けぬけます。すると背後からプップッとクラクションの音。振り向くとお父さんのスカイラインが止まっています。「・・・!! おとーさんだっ!!!」小さい私はお父さんが大好きで大好きで、(今もね^^)もし私が犬なら思いもよらぬこのまちぶせにしっぽも千切れんばかりの超高速ワイパーのごとくだったことでしょう。父は仕事が忙しく子供たちが眠ってから帰宅し起きる前にはもういなかったので、そんな日がつづくと仕事の合間を縫って土曜日に校門の前で待っていてくれました。若い父は眼光まぶしく七三にきりっと髪を整え鍛えられた体にスーツを着こなしとても精悍(せいかん)です。でも笑うときゅーっと目尻りにシワがよって坂本九ちゃんみたいになりました。行き先は決まっています。まずは洋食屋さん。私はハンバーグステーキを食べます。小さい私とお父さんはあまりおしゃべりをしませんでした。父は新聞片手にたばこを燻らせ、ただゆっくり珈琲を飲みハンバーグを食べている私をうれしそうに見ています。目が合うとまた坂本九ちゃんの顔をするのでおかっぱの私もデミグラスソースをいっぱいつけた顔で微笑います。 それが会話でした。
(今日(こんにち)ならこんな風景に度々ケータイ電話が登場するでしょうか・・
呼び出しがかかり父は途中で会社に戻ることになったりするのかな・・。さびしいな。)
ゆっくりランチをしたなら今度は夕暮れ時までドライブです。鎌倉、
茅ヶ崎、逗子、葉山・・海岸線の雲がオレンジに暮れてゆきます。
車の中は来生たかおの「Good Bye Day」が気だるく流れ出しました。
“Good by day ・・そしてI love you・・ One more day また一日おだやかならばそれでいい・・Good bye dayケリをつけて One more day また一日信じていればそれでいい・・” 小さい私には何を歌った歌かはわかりません。でも旋律に夕暮れも手伝ってなんだか胸がきゅーっとなります。心許なくて運転しているお父さんの顔をそっと見ました。みかん色の西日に照らせれたお父さんの目はまっすぐ、雲のずっと向こうを見ているような、何も見ていないような、私の知らないお父さんの瞳の奥を見てしまったようで小さい私はドキリとして動けなくなりました。陽に透けた長い睫毛が瞬いて我に返るとぼんやりしている私のまだ低い鼻をきゅっとつまんでお父さんはまた九ちゃんの顔をして小さく微笑いました。
無敵の女の子(2009.01)
急に、生まれた町の風を思いきり吸いたくなって7年振りに故郷を訪ねました。私が生まれたのは神奈川県の横須賀市と逗子市の境の港に面したとても小さな町です。目立った建物といえばTOSHIBAの工場くらい。国道を挟んで山側は谷戸(やと)と云われる細い路地と小さな坂道の住宅地で、海側は防備隊(ぼうびたい)という戦後の名残りの工場地帯です。工場排水なのか船から出る油のせいか海水(うみみず)は黒真珠のような色をしています。灰色の自衛隊船や貨物船が停舶し至る箇所に立ち入り防止用の錆びれた有刺鉄線がかけられています。決して明るい優しい雰囲気の海ではありません。それでも少し毒々しい潮の香りに私は胸がいっぱいになって涙があふれてとまらなくなります。
いったいなんの涙でしょうか・・・。懐かしさなのか、安心感か、潮風に揺られしばらく甘えるように泣いていました。
どうして急に帰りたくなったのか・・・。
私はたぶん、きっと、許されたくてここへ来たのだと思いました。ここには無償の愛の記憶があります。 ひいばあちゃん、ばあばあ、じいじい、おじちゃん、おばちゃん、まーちゃん、のりちゃん、
ななおちゃん、ひとえちゃん、皆ただただ愛してくれました。
惜しみない愛情の中で私はきらきらのびのび無敵の女の子です。
大人になってから知らないうちに心のどこかで自分を責めて生きてきたように思います。目に見えない消えない傷もいくつかあります。
幼い私は体が弱くよく高熱に苦しみました。我の強い私は母に叱られよく泣いていました。いつでも、どんなに私がいけないときでも抱きしめて背中を撫でてくれたひいばあちゃんの顔が浮かんでいます。
白髪(はくはつ)をゆるくひっつめ細い目をさらに細め微笑んでこちらを見ています。
・・・「・・いいんだよ」 ・・・「・・うん」
涙をふいて、冬の陽射しに顔を上げおもいきり風を吸い込んだら、
私は再びきらきらむくむく無敵の大人の女の子です!
注がれた愛はこの体の中にある・・。
さあ、ここからまた旅に出よう。
たくさんの無邪気な泣き顔とこぼれる笑顔に会いに・・・
いつの日かあたたかい胸に帰る日まで・・・・・
—追伸—
明けましておめでとうございます !
みなさんどんなお正月を過ごしましたか?
私は何年振りでしょう・・。お友達のKAB.ちゃんに誘っていただきステージで新年を迎えることができとてもしあわせな年越しを過ごしました。ライブに来てくださったみなさん、歌わせてくれたKAB.ちゃん、ほんとうにありがとうございます!
KAB.ちゃんには曲を書いていただいたり一緒に作ったり、この連載の写真もお願いして半日おつき合いいただき撮ってもらいました。
曲はもちろんですが写真もとても素敵です!
( http://www.kab.ne.jp ←KAB.ちゃんのHPだよ☆)
せっかく素敵な写真を撮っていただいたので横須賀編の増刊号を書きたいと思います! お楽しみに^^☆ いつか写真と一緒に連載本や詩集を出したいです☆ そして今年はぜったいアルバムを出して今度は自分でカウントダウンライブの企画もしたい^^☆
よ〜〜し! 良いお年を^−^!!
あなた と わたし の間でつなぐ手(2008.11)
朝露光るアメ色の楓の落ち葉をめくると、ナラ茸のキノコたちがにょきにょきと顔を出し背伸びをしています。昨日見たときは気配さえなかったのに一晩でこんなにも大きくなるなんて!私がのんきな夢を見ていた夜更けにさてはトトロが来たかな?!などといい年をしてうれしくなってにやけてしまいます。今年もお茄子や里芋と一緒にキノコ汁にしていただきました。ごちそうさまでございます^^
さて、私の母は毎年この季節になるとナラ茸のお目見えを合図にひとりいそいそ熊も住む森の中へと出かけていきます。森には天然のナメ茸やヤブ茸ヤブしめじ、運が良ければ天然の舞茸にも出合えます。とてもおいしいので母にはもうしばらく引退せずにがんばっていただきたい思いもありますが危険も多いので心配です。少し帰りが遅いと蜂にでも刺され白目を剥いているのではないか・・、もしくは熊にばったり遭遇して平手打ちにでも合い気絶しているのではないか・・などとソワソワしてしまいます。
母は(父も)このご時世いまだ携帯電話を持っていません。安否を確かめるにはこちらから探しに行くしかないです。周りの方からも“そろそろ持たせたら?”と心配していただくのですがふたりに“そろそろ持ちましょうか?”と言うと口を揃えて“要らない要らない”と頑なです。心配は尽きないのですが同時にケータイするということを知らないでいるのもいいなぁという気持ちもはたらいてそのままにしています。
そういう私も5,6年ほど前まではケータイおろかPCさえ持っていなく会う人ごとに驚かれ不便がられていました。それでも堅気な社会に属していなかったのもあって生活に大した支障もありませんでしたしむしろこの世から携帯電話などひとつ残らず破棄すべきだと思っていました。 想えばこんなこともありましたっけ・・^^:
当時、某ケータイ電話会社提供のラジオ番組で、「最近は好きな人への告白にケータイメールがひと役かっているんですって!高木さんどうですか?メールでの告白?^^」とDJが振るので(台本には「へえー!素敵ですね!」(←高木コメント)と書いてありましたが・・)思わず「ナンセンスだよ!気持ち悪いよ!会って言わなきゃ!!」とお腹の底から訴えてしまい、番組終了後私の発言に対しスタッフもゐさおちゃんも巻き込み頭を下げ謝るといった事態もしばしばでしたーー;
久しぶりに顔を合わせたというのに向かいで忙しくメールを打つ姿・・、
お休みの日のドライブ中の会社からの着信・・、
会話も弾むはずの素敵なレストランでケータイ片手に黙ってフォークを口にはこぶ家族連れや恋人たちの姿・・・、
大きな違和感に不安を抱きながらも進化(=退化かもしれません)を止めることはできないのです。時代の最後尾に取り残されても屈しない思いがありましたがそんな私も変われば変わってしまうものです・・。今ではケータイ電話1台とPHSを1台持ち歩いています。道を歩きながら食事をしながら誰かとおしゃべりしながらもメールを打つこともありました。(←今は気をつけています!)ケータイが悪いのではないのです。携帯している私の意識の問題なのだと思います。電話もメールも道具であって便利に使えばそれでいいのですね。 でもどうでしょう・・・。自分を振り返るとメールで大切な話しをし、メールで売られたケンカを買ってしまい、面と向かって言いにくいことを済まされ、メールで謝り謝られ、気持ちが通った気になっていたりなられていたり、さっき言われたことを今考えてる最中に間髪入れずにまたメールが入り、こちらもこちらで返事がないと気になり、道具であるはずの物に完全に翻弄されていることがあります。便利な道具のはずがすれ違いや誤解が生まれ、また時には淋しさを埋めようとする道具になっていることもあります。
みんな、上手くかしこくやっているのかな・・?
私は何度かこのような壁に当たり携帯することをやめようか・・と思うことがありましたが人との繋がりを一方的に拒むことにもなり身勝手に思い改めてきました。
たとえば私のような人とのつき合いについ真っ直ぐになりがちな不器用な人が持つには少し注意が必要、ただそうゆう話なだけなのかもしれませんね・・。
でもやはり恐いのは、メールは相手の顔が見えず声もないことです。
簡単に嘘もつけますし、一方的になりやすいです。
面倒になったり都合が悪くなったりした時、一瞬でシャットアウトすることもできます。
人と人とのコミュニケーションの中でこんなに悲しいことはないと思うのです。
大切なことばは会って伝えよう。ひとりの時間に人は相手を思うもので、不安や孤独の時間にこそ育つものがありますね。
なんだかこれを書いていたら単に私の弱さにも思えてきました^^;
今更ながら、自分を見失わないように、大切なことを失くしてしまう前に、見つめ直してみようと思う今日この頃です。

拝啓
親愛なるMy best friend.
元気ですか ?
ちかごろ 「間」がなくなってきました・・
人と人とのあいだには 間があるからわたしたちは人間で
この間にあるものはきっと 孤独、だね
時と時のあいだにも 間があるから時間は流れているんだね
孤独からおもいやりが生まれて
時の間でわたしたちはゆっくりやさしさを思い出だすだろう・・
大好きなあなた と わたし の埋まらない間に涙がはこばれて
ぽたぽた ぽたぽた こぼれたら
ホントの気持ちを聞かせてほしい
少しくらい、傷つけ合ったって平気さ !
親愛なるMy best friend
この手紙が届いたら
いつか会いに来てくれるかな・・

—追伸—
かつて、書を捨て街へ出よう!と謳ったのは寺山修二さんですが、
ケータイ置いて旅にでも出よう!といったところでしょうか^^;
紅葉も身頃を終え寒さが身にしみる季節になりました。
そろそろデモ制作はじまります^^☆
蝉(2008.09)
窓をあけると緑の香とふんわり冷たい風が湯上りの頬に気持ちいいです。
気の早いコオロギが鳴いています。ついこの間までは陽が翳ると蜩(ひぐらし)がカナカナと鳴いていました。暑いのは苦手ですが夏の日の夕暮れに蜩の鳴く声に甘えるように畳にうたた寝するのは、体の芯からホッとできる至福のひとときです。
今夜は月明りで山々の輪郭がくっきりと、その上には雲がふたつぽっかり浮かんで見えます。
ずっと、私の心の支えになってきた山です。
ステージを降りてからもうすぐ7年の月日が経つでしょうか。
7年て・・、長いですね・・。私は蝉か??!と自分で突っ込んで思わず笑ってしまいましたが・・、でもあながちはずれではないかもしれません・・。
飛び立ったのではなく、蝉のごとく土の中からはじまったのかもと今想います。
土の中は真っ暗で恐い・・。光を感じることができず、いつまでつづくかもわからない暗闇に心が潰れてしまいそうです・・。誰かここから出して!と叫んでも届かない。自分で出ようとしても今は手も足も羽根もない・・。ただじっと、光を諦めないようにひたすらに今日を過ごす・・。そんな風に現状を地獄でも見ているかのように感じ取っていたかもしれません・・。
だけどもし幼虫の季節に誰かが私を土の中から救い出してくれていたらそれこそ今私はここに居るどころかカラスの餌にでもなっていたかもしくは陽にあたってカピカピになっていたのだから「誰も引っ張り出してくれなくてほんとうにありがとう!!」と感謝するべきです!・・というのは半分冗談ですが^^
「苦しい」「恐い」と思っていた長い一日一日、本当はあたたかい肥えた土の中で栄養満点、守られてすくすくと育っていたのです。
地上には胎児のように土の中でまぁるくなっている私の上で、時には仁王立ちになり、スコップを持った山芋堀りの団体を追い払ってくれた人・・それから、冬の霜にやられないよう、そっと落ち葉をかけてくれるような優しさを分けていてくれた人たちがたくさん居たのでした。
孤独に暗闇に目を瞑ることは、しあわせを拒むことに似ています。
人はやはり「ひとり」です。 でも心の瞳さえ閉じなければ、やさしさを素直に受け入れて誰かに分けることができたら、「ひとり」だけどとてもしあわせな人生になります。これからは自分の持っている何かを誰かに届けに行くのではなく、誰かのやさしさや愛を感じて受けとることができたらそれを両手にいっぱい、こぼさないようにしてお届けする・・。
そんな風に歌ってゆきたいです。
9月 08

追伸・・・
「いくのちゃん!!蝉の命は一週間だけど大丈夫??」と今不安に思った人、
大丈夫です^−^!
蝉ではないからね・・・^−^;